古墳時代
会社を定年退職して放送大学院で歴史の勉強を始めた。かつて仕事上、 森将軍塚古墳(長野県千曲市)
古墳は領地を眺め渡せる高台に造られる物も多い 大室古墳群(長野市松代) 丸都山城(中国吉林省集安市 世界遺産) 御厨社古墳(長野県坂城町) 御厨社古墳石室内部 御厨社古墳があるお宅の塀 次の韓国の塀に良く似ている 韓国河回村の塀 御厨社古墳の家と良く似ている 韓国河回村 埼玉県日高市の巾着田が良く似ている 笹塚古墳(長野市松代) 笹塚古墳 合掌の屋根 針塚古墳 (松本市薄川周辺) 多胡碑(群馬県吉井町)
東南アジアやヨーロッパに出張・駐在し、色々な言語を学ぶうちに
日本人や
日本語のルーツに興味を持つようになった。修論の研究テーマは故郷長野の
渡来文化で、長野市周辺にある古墳が、どこから来た文化なのか調べる。
高句麗や百済から来たものであることは大体推定され、長野県の北半分には
馬を飼う技術を教えに高句麗やモンゴルから来た渡来人がいたらしい。
善光寺の本尊も百済から来たと言われている。その他例えば信濃追分で歌われた
渡来人の馬子唄が千曲川を下り、日本海沿いに北上して江差追分になったと聞く。
今ではすっかり忘れ去られてしまった渡来人の姿を求めて(単なるロマンではなく)
学問として研究して行くつもりだが、考古学が専門ではなく、前途多難である。
森将軍塚から 向こうの山の中腹にも古墳が散在する
次の中国 集安市丸都山城とそっくりの地形である
大室古墳群と似た地形があるのでは、と中国に行ったらそっくりの地形だった
他県には3ケ所しかない合掌形の屋根が長野市周辺に多く、研究が待たれる
「胡」は胡桃、胡麻、胡椒のように中国北部遊牧民族、西域のペルシャ系民族を指す
高句麗好太王碑の文化の伝来だろうか 近くに渡来系の辛科神社、高崎市周辺には古墳が散在する