朝鮮半島の古墳を訪ねる旅 ―3回の番外編―
高句麗(中国・北朝鮮の国境付近) 2008年6月
観光地巡りと違い、歴史研究は探す時間や見学に要す時間が不確定なため、日本で準備
したのはJALのマイレージで得た名古屋ーソウル往復切符だけ、あとは全部現地調達。ソ
ウルから黒竜江省延吉に行き、左回りに戻ってくる予定だったが、仁川空港で聞くと切符
が85,000¥でとても高い。中国で買った方が安いと考えて、逆の右周りに変更。ソウル市
内には行かず漢江の南側にある石村洞古墳他を見てすぐ仁川空港に戻り、大連へ。
大連の空港では中国入国で初めて徹底的に調べられた。大連から瀋陽経由で集安という
北朝鮮との国境の町まで夜行列車乗り継ぎで22時間。世界遺産の好太王の碑や積石塚古
墳を見た。中国語と朝鮮語を混ぜて話しているギャルがいたので「朝鮮族ですか、自分は
高句麗の勉強している」と話したら「わっすご〜い、写真撮らせて」と取り囲まれた。
集安 積石塚古墳群
集安から白山という町を通って11時間かけて長白山(標高2,744m)のふもとの白河へ。
タクシーの運転手に韓国人と間違われ、朝鮮族の宿に案内された。朝鮮語では白頭山と言
い、日本の天孫降臨のルーツである檀君神話がある。バスを乗り継いで最後はパジェロの
模倣車で頂上すぐ近くまで一気に行き、天池のふちまで歩くのはたったの5分、杖ついた
人でも登れます。白河で元がなくなり両替しようとしたら銀行がなく、韓国で泊まるつも
りでウォンに両替したのが余っていたので、宿代はウォンで払った。韓国人がたくさん来
るのでウォンも使えるのだろう。ちなみに元(ユァン)もウォンも銭の形の丸を意味し、
日本の円も同じで発音が違うだけ。
白河からバスで3時間半で北朝鮮との国境近くの延吉へ。途中トイレ休憩はないので水
は我慢して飲まない。延吉は朝鮮族が多く住み、中国語と朝鮮語が混在。そこから東京城
という渤海国首都のあった町を通ってハルピン・長春・吉林を見て、延吉に戻り、北朝鮮
の上空を斜めに通って ソウルへ。読みの通り中国で買えば切符は5万¥。学生の身なので
80〜100元(1500¥)の安宿でシャワーだけ、ハルピン・長春では寒い土地のせいか
熱い風呂やサウナがあり快適。
9日間で滞在費6万¥+韓国・中国間の航空券が9万¥の旅でした。
中国の駅で切符を買うのは大変楽、人がとても多くて長い列を作るが、壁一面に大きな文
字の電光掲示板があり、列車名と4日先までの切符の売れ具合が表示されるので、並んで
待つ間に買う切符を決めることができる。日本のように表示があっても字が小さいし、窓
口で買うときになってから席があるの無いの、とやっているのは大変効率が悪い。しかも
2007年に寧波から上海に戻る特急では、車内にDSPがあり、駅で下車し空席が出来ると
それが表示されるので、立っている人は空席に移動できる。日本は空席なのか一時的に席
を空けているのか荷物の雰囲気で判断しなと分からない。情報はあるのに客に知らせよう
とせず、国鉄時代の感覚が抜けてない。一般的に日本はサービスが良く、中国はお役所主
義でサービスが悪い、という話が多いが、欧米と比べても日本はお役所主義な所がたくさ
んある。(この「お役所主義」という言葉も最近は正しくない。年金暮らしになって役所に
行くが、対応は迅速で丁寧になっている)
韓国南部 2009年6月
新型インフルや景気衰退のお陰でどこもすいており、ウォンも安く、8日間で50ケ所
を訪問。3万ウォン以下の安い宿、最後に泊まった12,000ウォンの安宿はトイレ、風呂が
共同で、部屋には蒲団とTVだけしかなかった。大邱までは交通機関を利用。これで感じた
ことを挙げると
・ 地下鉄ホームで列車を待ってる時、皆がお年寄りを列の一番前に並ばせた。
・ 地下鉄は方向で改札口が違う。1度間違えて駅員に頼んで、反対側の改札口に通しても
らった。
・ 韓国の国鉄KORAILは改札、車内検札がない。
・ 釜山、慶州、大邱はメインの駅に特急が停車するとは限らず、注意が必要。
・ 田舎でも高層アパート群があり、土地利用率が大変良い。日本は高層アパートは都市部
にしかなく、郊外では農地をつぶして2階建ての家が広がっている。日本に戻った時、
この国は戦争が起こったらすぐ干上がるな、と思った。首相は大学の先輩だが、党の
派閥争いと目先の人気取りをしているだけで、日本の将来を考えているように見えな
い。更に朝鮮戦争は停戦ではなく休戦で、またいつ再開しても困らないよう常に身構
えている。韓流ブームで多くの日本人が行くようになったが、歴史や現実を知って訪
れているのだろうか。
・1万ウォン札しか持っていないときにバスに乗ったら釣りがなく、タダにしてくれた。
大邱からはレンタカーを借りた。レンタカー料金は日本と同じ位で、高速料金は日本より
ずっと安いが、ガソリンは150\/lで高い。道路は広く、都市部以外は信号が無く、右折が
常時可能、道路整備が良く走り易い。韓国は鉄道より道路の建設に力を入れているように
見える。カーナビの内容はお粗末。でもそれで道を間違えたお陰で偶然小さな古墳も見る
ことが出来て良かった。20年前オリンピックの頃は皆殺気立って運転していたし、事故
もよく見かけたが、今は皆ゆったり運転していた。
またWEBによれば日本人が韓国の遺跡、文化財を見に行くと必ず「豊臣秀吉と日帝時
代に日本人に破壊され、略奪された」と言われるとの事、自分は言われませんでしたが。
韓国 利川、公州他 2009年8月
この旅のもう1つの目的である子供太鼓の利川市招待演奏会は金大中元大統領の国葬で
中止になったが、地元中学校の伽耶琴演奏団や長鼓演奏団との交流会で有意義な演奏旅行
になった。最初の2日間は利川市の接待で食費はかからずにすみ、7日間で滞在費3万円。
利川から原州の法泉里古墳を見に行った。タクシーであちこちさがしてもらい、6人目
の人が「博物館の人が調査し、出土品は持って行った。今はない」と教えてくれた。タク
シーメータ63,000ウォンを感謝を込めて70,000ウォン(5600¥)払った。
太田市のホームプラスという量販店で電子辞書を買った。既にSHARPの電子辞書とそ
れに追加で入れるフランス語とドイツ語の辞書カードを持っているが、韓国語の辞書カー
ドはなく、また中国語の電子辞書も欲しいが、各々別のモデルで3万円のを更に2ケ買う
必要がある。しかし韓国製は13ケ国語が入っており、カラーDSPでリチウムバッテリー、
これで16000¥で大変安い。1つ欠点は日本語の漢字に全部ふりがなが付けてあり、その
点が少し煩わしい。
公州博物館では女性解説士が、ご主人の東京工業大学留学で日本に2年間いたので日本
語が上手く、また歴史も勉強されて知識も豊富。合掌形古墳について質問したところ、公
州博物館が長野の古墳を調査した報告書を頂き、とても参考になった。(修論参照)
この報告書には長野市の文化財学芸員の論説が載ってたので、帰国後その学芸員二人お
よび長野市から北に30kmの木島平の郷土歴史研究家に会うために長野に行った。木島
平で和栗古墳を見ようと林に入ったとたんスズメバチに襲われ、頭を中心に10数ケ所刺
され、午後学芸員と会う約束があるため猛烈な痛みを我慢して何とか長野市まで運転して
きて、昼食を食べに食堂に入ったが、とうとう我慢できなくなり、意識も朦朧としてきた
ので食堂の主人に事情を話したら、救急車を呼んでくれ、病院に担ぎ込まれました。点滴
と解毒注射してもらい、やがて少し楽になり、2時間ほどで退院できた。10月再度長野
に行き、学芸員と会って話を聞くことができた。
P.S.
大室古墳と渡来系住民との関係を調べようと、神社の寄進名簿から主だった姓について
辞典で調べようとした。しかし地元の人から、それは注意するよう言われた。ある地区と
姓が被差別を受けたことがある、とのこと。調べたことはないが、渡来人は製鉄、製薬、
馬の飼育技術と共に革のなめし、それに必要な製塩の技術ももたらしたはずであり、渡来
人の住んだ場所と被差別を受けたことがある場所に相関があるのでは、と考える。
ある有名歌手のお父さんはその地区の出身で、彼女は1度も来た事が無いそうである。
そういえばステージママの話は良く出たが、お父さんの話は全く無かったように思う。